同志少女よ敵を撃て
作者 逢坂冬馬
出版社 早川書房
あらすじ
独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。「戦いたいか、死にたいか」――そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために。同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵"とは?
⚠️注意⚠️
・あくまで個人の感想です
・ネタバレをできるだけ最低限に押さえる努力はしていますしこの先を読んだあとでも面白く読めるようにしているつもりですが一切ネタバレされたくない人は読まないことを推奨します
感想
戦争は良くないもの
昔からずっと教えられてきて
この先も語り継がれていかないと
いけない考えだとは思いますが
なぜ戦争はいけないのか
についてまで考えている人は
少ないのではないでしょうか
僕がそれを考える
きっかけになったのがこの小説でした
最初に触れたのは
もちろん本屋大賞でした
基本僕は文庫本になるまで
待ってから買う人だったので
なんとなく本屋大賞受賞式を観ながら
文庫化したら買おうかなくらいで
考えていたのですが
その考えが変わったのが
逢坂冬馬さんのスピーチでした
今起きているロシアとウクライナ問題を
取り上げながら自身の感情と
平和構築のために動いている人たちの
話をしながらこう言いました。
「私の描いた主人公セラフィマがこのロシアを見たとするならば、悲しみはしても絶望はしないのだと思います。彼女は恐らくただ一人か、あるいは傍らにいる一人と街に出て、自分が必要とされると思ったことをするのだと思います。なので私も絶望するのをやめます」
この話を着て僕はセラフィマという
少女について知りたくなり
次の日には本を買ってました
読んでみてまず感じたことは
戦争の期間の短さでした
この物語の始まりが1940年で
村で獣を狩っていた少女が
人を撃っても何も感じない
狙撃手になって
最後の敵を撃つのが
1945年と
たった5年間で
セラフィマという少女が
戦争に毒されていく話なので
かなりリアリティーがあって
戦争の恐ろしさや
当たり前のような日常が
壊れていく感覚が物凄くて
主人公を含めたキャラを
飲みこんでいく
戦争の恐ろしさを知りました
話が進んでいくにつれ
主人公は何を敵だと認識するのか
何を守るために敵を撃つのか
が変わっていくのですが
当たり前のように
仲間が死んでいく異常さ
改めてこの作品を
読み終わった後
逢坂冬馬さんのスピーチを
聞き直してみました
すると最初に聞いた
セラフィマの印象と
今思う
「私の描いた主人公セラフィマがこのロシアを見たとするならば、悲しみはしても絶望はしないのだと思います。彼女は恐らくただ一人か、あるいは傍らにいる一人と街に出て、自分が必要とされると思ったことをするのだと思います。なので私も絶望するのをやめます」
の言葉の印象は
大きく変わっていました
この体験は是非本編を
読んで体験してください
日本の戦争が終わってから
77年たち当時戦争を生き延びた
人たちの話を聞くことが難しくなって
きた今の世界でも
戦争の下に狂わされていった人々が
いたことを知るために
こういう作品はあり続けなければ
ならないと思いました
日本の戦争は多くピックアップ
されることは多いですが
世界の戦争について日本の
作者が書いている作品は
かなり少ないです
この本に書かれていた
戦争においての女性としての
立ち位置は
この本で初めて読みました
こういう本は今後の世界にも
語られるべき小説だと思うので
かなりの長編のため読むのに
時間がかかりますが
気になった方は是非読んでみてください